# 『意味変語彙力帳』をネタに国語辞典を比較

すこし前に書店で見つけて、こんな本を買っていました。

意味変語彙力帳

意味変語彙力帳

  • 総合法令出版
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結論からいうと少し期待外れだったのですが、せっかくなので、この本をネタにして手元の国語辞典を比較して遊んでみました。

●発端

単語や成句を自分が間違って覚えていないか、使っていないかという不安は常にあるものです。いえ、常にそう警戒していなければなりません。そこで、ときどきこういう本を確認して、危なそうな項目は自分のチェックリストに追加しています。

この本は、いつ頃からか意味や使い方が変化した語について、変化後の意味や使い方(これを本書では「意味変」と呼んでいる)と、本来の意味や使い方(本書では「本意味」)を並べて説明していくという体裁になっています。ただし、「意味変」のほうを「間違っている」と断じるのではなく、あくまでも「こういう風に意味や使い方が変わってきているので気をつけましょう」くらいのスタンスです。取り上げられているのは、本編の100項目と、簡略にまとめてある追加分をあわせて全156項目。執筆に当たって参考にした辞書は、

  • 小学館『日本国語大辞典』第二版
  • 小学館『デジタル大辞泉』
  • 三省堂『大辞林』第四版
  • 岩波書店『広辞苑』第七版
  • 三省堂『三省堂国語辞典』第八版

だということです(「凡例 本書について」より)。

漫画のセンスも含めてちょっと微妙な気はしながら、いちおう監修が神永暁さんだったので買ってみたのですが、ふたを開けてみたら、最初の直感どおり「んんん?」という内容も少なくありませんでした。

でもせっかくなので、この本で取り上げられている156項目をネタにしながら、新しい意味や使い方が、どの辞書で許容されていて、どの辞書で「誤り」とされているのか、各国語辞典を比較してみたわけです。

●調査方法

さすがに紙の辞書まではいちいち開いていられないので、メインとしては以下5点の辞書を使いました。

  • 三省堂『三省堂国語辞典』第八版(物書堂)
  • 大修館『明鏡国語辞典』第三版(DONGRI)
  • 小学館『デジタル大辞泉』(物書堂、ジャパンナレッジ)
  • 小学館『現代国語例解辞典』第五版(DONGRI)
  • 三省堂『現代新国語辞典』第七版(DONGRI)

そして、サブとして以下の4点。

  • 三省堂『新明解国語辞典』第八版(DONGRI)
  • 小学館『新選国語辞典』第十版(DONGRI)
  • 旺文社『旺文社国語辞典』第十一版(DONGRI)
  • 三省堂『大辞林』第四版(DONGRI、物書堂)

メインの5点については、156項目すべてを引いてデータを残し、サブの4点については、記述がおもしろそうな場合だけ記録しました。

ところで、私が今回使った資料一覧を見ても、DONGRIの比率の高さが際立っています。特に、出たばかりの三省堂『現代新国語辞典』第七版が載ったのは最近の大ヒットです。

結果は、こんな風にExcel表にまとめてあります(クリックで拡大します)*1

●あらためて分かった各辞典の特徴

新しい言葉、新しい意味、新しい使い方が出てきたとき、それにどう対応するかは、国語辞典ごとにかなり違います。その点も、辞書ごとの「個性」の大きな要素のひとつです。扱い方を大ざっぱに分けると、厳格さの順に

  1. 「誤り」と指摘する
  2. 「本来は誤り」などの説明を付けて、言葉が変化したことを示す
  3. 「俗に」という補足や〔俗〕といったラベルを付けて載せる
  4.  新しい意味や用法として載せる

といったところになります。Excelにまとめたデータから、この4分類に該当する数を集計してみたときころ、以下のようになりました。全156項目に対して、各辞書の項目合計数ははるかに少ないのですが、これは私がデータを集計するとき、各辞典の記述をすべて載せたわけではなく、上記1~4の観点で特筆すべき場合だけ記録したからです。それ以外の理由もひとつあって、それは後述します。

よく知られているとおり、『三省堂国語辞典』と『明鏡国語辞典』の「誤り」指摘の差はやはり顕著です。三国はなんとゼロ。「本来は誤りだった」的な表現でもわずか6個です。一方、明鏡の「誤り」指摘は実に47個とダントツです。ただし、同じ明鏡でも〔新〕というラベルを付けて許容しているケースが22個というのは、意外と多い印象です。三国はいくら何でもいろいろ認めすぎだと考えるか、明鏡は厳しすぎると判断するかは人それぞれですが、いずれにしても

辞書を1種類だけ見ていたのではダメ

ということが、これだけでも分かります。

『デジタル大辞泉』は、この表にある数だけではなく「国語に関する世論調査」の結果が64項目について載っているのが最大の特長です。

こういうデータです。三国とも明鏡とも違って、言葉の変化をあくまでも客観的なデータとして示すという姿勢が一貫しています。このデータは、訳語を選ぶときなどに、なかなか利用価値があります。

小学館の『現代国語例解辞典』と、三省堂の『現代新国語辞典』は、どちらも高校生くらいの利用を想定していますが、前者「現国例」はわりと保守的で、「誤用」指摘も多くない反面、新しい意味や用法の採用も慎重なことが分かります。それに対して、「現新国」は「俗用」と許容を合わせるとそれなりの数にのぼります。高校生が相手なので、新しい使い方にはわりと寛容というスタンスです。

ちなみに、今回の趣旨と違いますが、『現代新国語辞典』のおもしろさが如実に表れていると思ったのが、「召喚」という単語でした。

②[魔術やゲームで]魔界などに住むキャラクターを、こちらの世界に呼び出すこと。「魔法陣に―する」

この語釈が載っているのは、この辞典だけです。自分が高校生だったら、こんな国語辞典を使いたいなあと思います。

サブとして使った辞典についても、少しだけ言及しておきます。今回なかなかおもしろかったのは「全然」の項の『旺文社国語辞典』に載っている「変遷」という記事でした。

〔変遷〕「全然」は江戸後期に中国の白話小説から移入された語で、「まったく」という振り仮名を付して用いられた。明治になってからも、「すっかり」「まるで」「そっくり」などの振り仮名を付して用いられた。音読みの「全然ぜん
ぜん」が広まるのは明治後期で、夏目漱石の「吾輩は猫である」(明治三十八年)や「野分」(同四十年)などに見られる。もとは肯定表現にも否定表現にも使われたが、昭和初期ごろにはあとに否定的意味の語を伴うようになった。現在ではその呼応もくずれ、「とても」「非常に」の意でも用いられる。

中型辞典(『広辞苑』とか『大辞林』)をもしのぐ、圧倒的に詳しい説明です。学習用途を配慮した結果でしょうが、こういう記事が載っているのはすばらしいと思います。

●『意味変語彙力帳』のいちばん残念なところ

さて、今回ネタにした『意味変語彙力帳』ですが、「なんでこれを載せた?」と疑問を感じるような語句が――あくまでも私の判断ですが――34もありました。156中の34なので、ほぼ5分の1です。上のExcel表を見ると、
 あんさつ【暗殺】
 いいえてみょう【言い得て妙】
 いうにおよばず【言うに及ばず】
 いうにことかいて【言うに事欠いて】
の4つがグレイになっています。どういうことかというと、この本には「○○という新しい意味がある」と書いてあるのに、どの国語辞典を見ても「そんな意味や使い方、載ってないよ~」という結果だった項目です。

たとえば「暗殺」の場合、

人気のない場所で、暗闇に隠れて人を殺すこと。

という意味で使われることもある、と書かれています。えー、そんな使い方する人いるの?と感じます。あるいは、「いいえてみょう」についても

変な。奇妙な。

という意味で使われると書いてあって、そうかいなーと。

そういう項目が34もあるので、いったいどんな基準で項目を選んだのかが、はなはだ疑問です。おそらくは、今の段階でどの国語辞典にも載っていない新しい意味や使い方がこんなにある、ということなのかもしませんが、いかんせん、私が見聞きする範囲ではとんとお目にかかったことがありません。

えつらん【閲覧】《意味変》動画や芸術作品を鑑賞すること。

とか

かっぱのかわながれ【河童の川流れ】《意味変》〔河童が川の流れに乗ってすいすいおよぐことから〕極めて簡単なこと、得意とするところの意。

とか、そんなの見たことないんですけど、私の知っている範囲が狭すぎるのでしょうか。

●その他、雑感

こうやって各辞典の特徴を意識しながら引いていくと、辞書ごとの「個性」のおもしろさがあらためて見えてきます。

三国は、一般に誤りと言われている意味や使い方を "擁護" する姿勢が並大抵ではありません。たとえば、よく話題になる「押しも押されぬ」は、主見出し「おし」のなかの慣用句として立項され、いちおう空見出しで「押しも押されもせぬ」に誘導していますが、そのあとでこう解説を加えています。

〔江戸時代から「立ちも立たれず」など、同様の用法がある〕

歴史上の用例にまで遡って誤用説を否定しているわけです。「あららげる」と「あらげる」についても、

音が一つ落ちて「あらげる」とも。どちらの形も、江戸時代からある。

としています。江戸時代説、多めです。もう少し最近の変化については、たとえば「敷居が高い」の意味については、

敷居が高い[句]〔=敷居が高くなった感じがする〕
①義理を欠いたりして、その人の家に行きにくい。「ごぶさたしたので―」
②近寄りにくい。「庶民にとって お役所は―」
③気軽に体験できない。「オペラは―と思いがちだ」
[共通]①は江戸時代から、②は戦前から、③は一九八〇年代には もうあった用法。(↔敷居が低い)
[区別]「敷居が高い」は、①〜③いずれも、心理的な抵抗が大きい場合に使う。「ハードルが高い」は、心理的な抵抗はなくても、実現が むずかしい場合に使う。「敷居が高い③」が新しい用法であるため、「ハードルが高い」と言いかえることがあるが、これもまた新しい用法。

と、かなりのスペースを使って説明しており、「戦前」とか「一九八〇年代にはもう」というように出現時期を記しています。もちろん、これも実際の用例に基づいた記述です。

また、「課金」については、

②課された料金を払うこと。
お金を取る側の行動に使う ことばが誤解されて、しはらう側にも使うようになった。☞ 「募金」の

と書かれていて、参照先の「募金」を項を見ると

呼びかける側の行動に使う ことばが誤解されて、応じる側にも使うようになった。同様の例に「課金」「貸し切る」「納車」がある。

という解説が付いています。類例をあげながら誤用説を否定するパターンです。

このような考え方の是非については、人によって考え方が分かれそうです。が、それは別としても、歴史上の用例や類例を示してくれるのは、言葉を知る/使ううえで貴重な情報です。つまり、三国は「国語辞典に載っているんだから、正しい意味・使い方と認めていい」と断定する基準にするわけではなく、あくまでも「いろいろな意味・使い方の現状を知る」ための資料だと考えるべきだということです。

明鏡が言葉にうるさいというのは想定どおりなので、やはり三国と明鏡はセットにして見ておきたい二冊です。本当は、第三版だけでなく第二版の内容も参考としてリストにしてみたかったのですが、そのうち暇になったらやってみようと思います。

『新明解国語辞典』は、誤用かどうかについてあまり言及していません。その判断や基準について説明することはほとんどせず、いちおう認めることにしたら「俗」とか「本来は誤用」と示す程度で立項し、認めないならただ載せないだけです。

おもしろいのは、『現代新国語辞典』のように明確に学習向けを意図している辞典です。教育的配慮に基づくバランス感覚といいうところでしょうか、誤用についての言及も多い反面、今どきの若者が使う言葉はしっかりフォローしています。このバランス感覚はとてもいいと思いますし、それをDONGRIで使えるようになったのは、個人的に実にありがたい。今回いちばん言いたかったのは、それかもw

*1:こういうデータをよく共有していますが、さすがに今回は控えています。ネタ本も一緒に読まないとあまり意味はありませんし。どうしても完全版を見てみたい方は、ご連絡ください。