すでにお伝えしているとおり、翻訳フォーラム・シンポジウムの今年のテーマは「ことばと向き合おう」です。
まず、お知らせですが(翻訳フォーラムのサイトでは告知済み)、
- 録画アーカイブ配信の期間が伸びました。6/11まで、ほぼ1か月くらい何度でも「ことばと向き合う」ことができます。
- ジャパンナレッジPersonal の「初年度年会費20%割引」特典も付きます。
お申し込みは、引き続きこちらからどうぞ!
「翻訳フォーラム・シンポジウム2023」― Peatix
さて、「ことばと向き合う」ときに文法が有効な武器になるという話は、前々回の記事でお伝えしました。
今回は、午後の部の私のパート「翻訳者として辞典から読み取る情報」でお伝えしたい内容をチラッとご紹介します。
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アメリア定例トライアルで、私が「IT・テクニカル」部門を担当していることをご存じの方も多いと思います。
2月号で私が出題した課題文は、冒頭がこんな一文でした。
No matter whether you speak English or Urdu, Waloon or Waziri, Portuguese or Persian, the roots of your language are the same.
言語名が6つ列挙されています。訳し方はいろいろでしょうが、たとえば
AAA語やBBB語、CCC語やDDD語、はたまたEEE語、FFF語を~
という訳文も散見されました。
たしかに、こういうとき「はたまた」っていう語が使われることはありますよね。でも、この言い方って、今回の課題文を訳出するときに使えるものなのでしょうか。さっそく国語辞典を引いてみます。
[副]あるいはまた。それともまた。「牀前の月光か、はたまた地上の霜か」
【明鏡国語辞典 第三版】
《接》〔文〕それとも。「流れ星か―UFOか」
【三省堂国語辞典 第八版】
〘連語〙《接続詞的に》それともまた。もしくは。「行く先は北海道か、―九州か」
▽既に古風な言い方。「はた」は、ひょっとしての意の古語副詞。
【岩波国語辞典 第八版】
ひとまず3つ挙げてみました。いずれも代表的な小型国語辞典ですが、ここから何が読み取れるでしょうか。
- 品詞分類が辞書によって違う――そうなんです。
- 三省堂国語辞典では〔文〕というラベルが付いている――正解。硬い文章語ということですね。
- 岩波国語辞典では、ラベルはないが「既に古風な言い方」という注意書きをわざわざ添えている。こういう使い方の注意は絶対に読み落とさないようにしましょう。
ここまでは、「辞書を読む」つもりになれば誰にでもまず読み取れるでしょう。では、
- 明鏡国語辞典にはラベルも注意書きもないが、例文が少し古風だ。
という点はどうでしょうか。これ、ラベルこそ付けていませんが、やや古い用例を示すことで、「使うとちょっと古風な感じになる」ってことを伝えようとしています。けっして無造作に並んでいるわけではなく、用例は語釈で伝えきれない微妙な語感や使い方を伝えるために添えられている、ということを忘れないようにしましょう。
それでも、ここまで調べた限りでは、古風になるかもしれないけれど意味は「あるいは」とか「それとも」なんだから使えないことはない――そう判断できるかもしれません。
でも、もう少し粘って引いてみます。
〈接〉あるいは。または。|例| 勝者は白組か、はたまた紅組か。敵か、はたまた味方か。|表現|「いったいどうなることやら」「いったい何ものか」と、気をもたせるような言いかた。
【例解新国語辞典 第十版、赤字は引用者】
ここ最近、私がけっこう推している中学生向けの国語辞典です。
この赤字部分の補足が秀逸だと思いませんか? そう、妙に「気をもたせる」ような感じがする言い方なんですよね、「はたまた」って。今回の課題文――技術系の文章です――の冒頭で、そこまで「気をもたせる」ような表現を使う必要はあるのかという点がちょっと引っかかるわけです(減点対象にはしませんでしたが)。
こうやって、常に複数の国語辞典に当たって、そこに載っている情報を過不足なく読み取る――こういうことが、「ことばと向き合う」うえではとても大切です。
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もうひとつ、やはり国語辞典の例を挙げます。
やはり、ある翻訳答案で見かけた例ですが、「新規な技術」という言い方に違和感を覚えました。そう、「新規な」という形が変ですよね。これを見て、「『新規な』なんて言わないよなぁ。『新規の』だろう」と判断して×を付ける、ことが私にはできません。
自分の言語経験なんてたかが知れている
と常々思っているからです。だから、すぐ辞書を引くわけです。
(名・形動)文ナリ
①新しい・こと(さま)。「―採用」「―開店」「―な仕事の準備に取掛つたりしやうと考へた/家 藤村」
【大辞林 第四版】
この記述からは、
- 形容動詞ってことは、「新規な」って言えるのか。実際に用例もあるしな……。でも待てよ、用例は島崎藤村の『家』なのか……。現代語とは言いにくいから、現代の翻訳に使えるとは言えないかもしれない……
というくらいのことを読み取ることができます。これだけだと、「新規な」という形を完全に否定する材料にはできません。そして、見つけたのがこれです。
名・形動(の)あたらしいこと。「―の計画」「―に申しこむ」
【新選国語辞典 第十版、赤字は引用者】
こちらは、書籍版のほかオンライン辞書サービス「DONGRI」でも使える小型国語辞典。
おや? この「形動(の)」っていうラベルは何だろう……。
この先は、5/14のシンポジウム当日に、私のコーナーでお話しします。