# 辞書を引き比べるってどういうこと?

1つ前の記事で紹介したイベント

比べて極める辞書の世界 (翻訳フォーラム・おうちでレッスンプラス第1弾)

までちょうど1か月となりました。おかげさまで多くの方にお申し込みいただいておりますが、この辺で、

辞書を引き比べる

って、そもそも何が楽しいのか、もとい翻訳者にとってどんな役に立つのか、ということをもう少しだけ詳しく説明しておこうと思います。

いろいろな「引き比べ」

辞書は、いろいろな観点で引き比べることができます。一言語辞書(国語や英英など)か二言語辞書(英和、和英など)かによっても違ってきますが、たとえばこんな比べ方があります。

  1. 語義の分類のしかたを比べる
  2. 語釈の違いを比べる(主に一言語辞書)
  3. 訳語の違いを比べる(二言語辞書)
  4. 補足説明用例の詳しさ、示し方の違いを比べる
  5. 同じ言葉について、時間に伴う変化を比べる
  6. 新語や新語義の採用方針の違いを比べる
  7. 表記や表現の違いを比べる
  8. 挿絵の違いを比べる
  9. ……

6. は、新しい辞典が出るとときどき話題になりますね。最近では、『三省堂国語辞典』第八版で採用された新語や新語義、逆に削除された項目などがわりと話題になっています。つい先日も、編集委員のひとりである飯間浩明さんが『マツコの知らない世界』にご出演なさって、その辺のお話をされていました。7.とか8.になるとかなりマニアックで、8.などは以前、国語辞典ナイト*1で盛り上がったネタです。

私たち翻訳者が辞書を引き比べるとすれば、1.~5.くらいでしょう。単純におもしろいだけではなく、それぞれの言葉について理解が深まりますし、辞書ごとの個性が分かってきます。辞書の個性が分かってくれば、辞書引きの効率も上がります。

以下、こうした比べ方の一部を取り上げてみます。

語義の分類/語釈の違いを比べる

主に一言語辞書、特に私たち日本語ネイティブの場合は国語辞典でいろいろと確かめることができます。たとえば、辞書ごとの個性がよく表れる例としては、昔から「恋愛」のような単語が有名です。ここでは、私のブログらしく「怪獣」を例にいくつかの国語辞典から語釈を引いてみます。

正体の分からない、あやしい動物。
▽架空の大きな動物についても言う。【岩波国語辞典 第七版】
①正体不明の、恐ろしげな獣。
②化石時代の爬虫類などにヒントを得て漫画・映画・テレビなどで創作された、不気味で大きな動物。―映画【三省堂 新明解国語辞典 第七版】
①ぶきみな感じの大きな けもの。
②漫画・映画・テレビなどで作り出した、ぶきみで大きな動物。
「━ゴジラ・━ママゴン〔=子どもに対して強い勢力を持つ母親のたとえ〕」【三省堂国語辞典 第七版】
異様なすがたをした動物。異様なすがたと独特の力で人間に脅威をあたえながらも親しまれている、架空の動物。【三省堂 例解新国語辞典 第十版】
①正体のわからない(大きな)けもの。用例(北杜夫)「ネス湖の怪獣」《類義語》珍獣。
 ◆(大型ノ輸送トラックハ)なんだか自分自身の意志をもつ生命ある怪獣のように見えた〔北杜夫・夜と霧の隅で〕
②〔人間が想像してつくりだした〕巨大で不気味な形の動物。ゴジラ・モスラなど。「怪獣映画」【学研国語大辞典】

5つだけしかあげませんが、これだけでもいろいろな違いが分かってきます。

まず目につくのは、『岩波国語辞典』がえらくアッサリしていることでしょう。分類も特になく、「架空の大きな動物についても言う」とわずかに補足しているだけです。

次に、三省堂の小型国語辞典をわざわざ3種類も取り上げたところに注目してください。同じ出版社の、しかも同規模の国語辞典なのに、語釈の方針はかなり違います。『新明解国語辞典』は、ときどき妙に詳しく、なかには個人的な思い入れまで入っていそうな語釈があるということで有名です(もちろん、この辞書の特長はそれだけではありませんが)。ここでも「爬虫類などにヒントを得て漫画・映画・テレビなどで創作された」と詳しく説明されています。

『三省堂国語辞典』は、あまり差がなさそうに見えますが、①ですでに「ぶきみな感じ」という日常感覚的な表現を使っているところが特徴的です。用例の「―ママゴン」も独特です。

『例解新国語辞典』は、中学生くらいが対象の辞典なのですが、「脅威をあたえながらも親しまれている」という部分がユニークです。

最後の『学研国語辞典』は中型辞典なので、いちばん詳しくなっています。北杜夫からの例文も掲げられていますし、「ゴジラ・モスラ」とかなり具体的な名前まで載っています。

時間に伴う変化を比べる

すでにお気づきの方もいると思いますが、上の例のうち『岩波国語辞典』『新明解国語辞典』『三省堂国語辞典』については、実はわざとひとつ古い版を引用しました。すべて第七版ですが、現在はいずれも第八版が出ています。おもしろいことに、3つとも、第八版になると語釈が上記とは違っています。

どう変わったのか、ここには載せません。興味がある方は、それぞれお持ちの辞書を調べてみてください。12/18のセミナー当日には、こちらの "答え" もご紹介します

語義の分類/訳語の違いを比べる

上の例だけでは、おもしろがっているだけだろう、翻訳者にとってどんな意味があるんだ、と思われてしまいそうです。ので、翻訳者として辞書を活用するうえで意味がありそうな引き比べも示しておかなくてはなりません。

例として、sophisticatedという単語を取り上げます。ご存じの方も多いはずですが、翻訳学校のクラスやアメリアの定例トライアルでは誤答率のかなり高い単語のひとつです。

1a〈機械・方式など〉高度に複雑な, 精巧な, 高性能な.
 a sophisticated computer 高性能のコンピューター.
b〈自動車など〉最新の装置を施した.
2a 洗練された, 教養のある, 都会的な (refined).
 a sophisticated newswriter.
b 〈人・思想・趣味・態度など〉(教育・経験などによって)世慣れした, 世故にたけた (worldly-wise); 物知りの, 如才ない (knowing).
3 〈文体・作品など〉技巧を凝らした, 凝った, 高級な, 俗受けしない, インテリ向けの.
 a sophisticated style, novel, etc.【研究社 新英和大辞典 第6版】
1〈人・考え・趣味・服装・態度などが〉(教育や経験によって)素朴[自然,やぼ]でなくなった,あか抜けた;洗練された,都会的な,高尚な;世間的常識を身につけた,世慣れた;学[教養]のある:
 a sophisticated young socialite 洗練された若手の名士
2〈文体・作品などが〉技巧を凝らした,凝った;気の利いた,しゃれた,いきな:
 a sophisticated style 技巧を凝らした文体.
3〈論法などが〉人を迷わす,こじつけの,ごまかしの;〈人などが〉小賢(ざか)しい,きざな:
 the politician's sophisticated arguments 政治家の人を惑わす論議.
4〈方式・手順・機械・議論などが〉複雑[精巧]な,手の込んだ;程度の高い,高性能の:
 a sophisticated electronic control system 複雑な電子制御機構【ランダムハウス英和大辞典 第2版】
1 Having, revealing, or proceeding from a great deal of worldly experience and knowledge of fashion and culture:
a chic, sophisticated woman
a young man with sophisticated tastes
 1.1 Appealing to people with worldly knowledge or experience:
 a sophisticated restaurant
2 (Of a machine, system, or technique) developed to a high degree of complexity:
highly sophisticated computer systems
 2.1 (Of a person or their thoughts, reactions, and understanding) aware of and able to interpret complex issues; subtle:
discussion and reflection are necessary for a sophisticated response to a text【Oxford Dictionary】 
1: deprived of native or original simplicity: such as
 a: highly complicated or developed : COMPLEX
  sophisticated electronic devices
 b: having a refined knowledge of the ways of the world cultivated especially through  wide experience
  a sophisticated lady
2: devoid of grossness: such as
 a: finely experienced and aware
 a sophisticated columnist
 b: intellectually appealing
 a sophisticated novel【Merriam-Webster】

英和の大辞典から2つ、英英の一般大辞典から2つを引用しました。それぞれ、「洗練」系の語義と、「高度、複雑」系の語義がどこにあるか(下線を付けました)、また語義がどのくらい細かく分類されているかを読み取ってみてください。

新英和大とMerriam-Websterでは「高度、複雑」系が最初のほうにあり、ランダムハウスとOxfordでは「洗練」系が最初のほうにあります。この4ついずれもこのうち、Merriam-Webster以外の配列*2は歴史順ではなく頻度順なのですが、頻度に関する判断が違うのでしょう。これ以外の辞書も含めて全体的に見ると、「洗練」系の語義が先に来ている辞書のほうが多いようです。とすると、この単語については誤答が絶えないのは、やはり「辞書の最初のほうしか見ない」ということなのかもしれません。

【11/19午後2時20分追記】「このうち4ついずれも」と書きましたが、Merriam-Websterは歴史順では、というチェックをいただきましたので、修正しました。

ひとつの単語の語義・語釈を表で整理してみる

最後に、ひとつの単語をじっくり掘り下げる究極の方法をご紹介します。それは、語義の分類、訳語や語釈、用例などを、いくつかの辞書について(できるだけ多く)一覧表にまとめてみるという作業です。

この一覧表を作ろうとすると、以下のようなことまで辞書から読み取る必要があります。

  • 辞書ごとに並び方が違う語義がそれぞれどう対応しているか
  • 辞書ごとに語義分類の細かさ・粗さはどう違うか
  • 語義ごとにどんな語法説明や補足が試みられているか
  • それぞれの語義に対してどんな用例が付けられているか

ということは、手持ちの辞書ひとつひとつと徹底的に向き合うことになり、やがて辞書ごとの個性が詳しく分かるようになるわけです。

サンプルを用意しました。

docs.google.com

ダウンロードしてご覧いただけます(もし、うまくダウンロードできないようであれば、コメント欄でご連絡ください)。

取り上げたのは、訳出に困る人が多いprovideです。

  • 英和の大辞典3つ
  • 英和の学習辞典3つ
  • 英英の学習辞典4つ
  • 英英の一般辞典2つ

計12点の辞典に当たっています。この表の作り方も、12/18のセミナーでご紹介するつもりです。

ということで、興味が湧いた方は、ぜひご参加ください(アーカイブ視聴もあります)。お申し込みページはこちらです。

比べて極める辞書の世界(翻訳フォーラム・おうちでレッスンプラス第1弾)



 

*1:国語辞典をネタに盛り上がるという楽しいイベント。渋谷カルチャーカルチャーで不定期に開催され、西村まさゆき、飯間浩明、見坊行徳、稲川智樹の各氏がレギュラー出演。そのほか毎回多彩なゲストも呼んで、国語辞典をあらゆる角度から楽しんでいる。このうち、見坊行徳さんと稲川智樹さんは、12/18のセミナーにお越しくださいます。

*2:辞典における見出しの並べ方のこと。詳しくは、『辞典語辞典』(見坊行徳、稲川智樹)をおすすめします