#『校閲至極』日記、その12

昨日は、9日に行ったばかりの旧岩崎邸庭園を再訪しました。

旧岩崎邸庭園には、本館のほかに撞球室というのが建っていて、本館とその撞球室はなんと地下道でつながっています。地下道も撞球室内部もふだんは非公開なのですが、毎月15日に開かれるガイド付きツアーに参加すると見られるということが分かりました。これは行くしかない、とさっそく再訪した次第。

興味のある方は、公式サイトの案内をご覧ください。

www.tokyo-park.or.jp

このページにある【地下・撞球室ガイド】のセクションです。

さて、昨年から続けてきたこの「『校閲至極』日記」も、きりのいい12回の今回で最終回です。

「検算し常識と照らし合わす」(p.237~)より

単に誤字・脱字を直す「校正」と、当たり前のように計算し矛盾点を突く「校閲」の違いに強い関心を持たれたように感じました。

矛盾点を突く、というわけではありませんが、翻訳者も、原文に出てくる数字とか計算式は自分で確認しますよね? ごくまれに、原文での計算が違っているということもありますが、それ以上に、計算してみたほうが、そこに書かれていることについて理解が深まるからです。

そして、計算に限らず「常識と照らし合わす」というのが翻訳でも重要なことは言うまでもありません。

これは以前にもよくネタとして取り上げた話ですが、だいぶ前にアルクさんの翻訳コンテストを担当したことがあって、その出題文に

6,912 languages

という数字が出てきました。これを「6,912か国語」と書いている答案が思いのほか多かった。これなどはまさに、常識をはたらかせてほしかった事例です。

「数え年で7年? 善光寺の不思議」(p.240~)より

数え年は、ゼロの概念がなかった時代の数え方とされ、数え始めの年が1となる。

この説もなるほどですが、私は別の話も聞いたことがあります。数え年の起源というより、どちらかというと説明のための話ですが、

数え年は序数、満年齢は基数

という考え方です。

生まれた年は、その人にとって "the 1st year"「1年目」
年が明けると、その人にとっては "the second year"「2年目」



ということです。

だから、個人ひとりひとりの誕生日が来たかどうかとは無関係に、毎年1月1日になると全員が1つ年を取る。12月31日に生まれた人はその時点で「1年目を迎えた」つまり「1歳」。年が明けて1月1日になると、「2年目を迎えた」つまり「2歳」ということになる。「生後2日」で、満年齢なら0歳の赤ん坊なのにもう「2歳」^^;

現代人の私たちから見ると、なんとも理屈に合わない数え方なのですが、たしかにこの方式なら「成人式」がいつになるかも迷わなくて済みますね。戦前の日本なら、徴兵するのにも都合がよかったのかも。

「あとがき」(p.250~)より

これは新聞の校閲が無限の事象をチェックしていることの表れだと思います。それとともに、各執筆者の個性や趣味が、あるときはチラリ、あるときはヌッと出ることが、校閲という黒衣(ルビ:くろご)にも思える仕事に多様な色を与え、一人一人の体温が伝わる校閲を描き出してきたからではないでしょうか。

やや長い引用になりましたが、ここに出てくる「黒衣」に引っかかりました。わざわざ「くろご」とルビも振ってあります。普通なら「黒子(くろこ)」という単語が出てきそうな文脈です。

調べてみましたが、「くろこ」は漢字表記が「黒子」も「黒衣」もあって、どちらの表記でも「くろご」という読みがあるんですね。もちろん、「こくい」とか「くろぎぬ」と読ませたら別の単語。

そういえば、「ほくろ」も「黒子」と表記することがあるから、「黒衣」と書いたほうがいいのかも。でも、その漢字に「くろこ」ではなく「くろご」とルビを振ったところは、なんでしょう、この「あとがき」を書いた岩佐義樹氏の「ヌッと出」てきた個性または趣味だったのでしょうか。

ということで、読了を急ぐことなく、思い立ったときに何ページか読んでは、そのときそのとき思い浮かんだ "よしなしごと" をつづってきました。最初から、疑問に思う箇所とか、自分の経験を想起させるような内容が多かったからかもしれません。

意外と面白かったので、何か同じような本を見かけたら、またやってみようかと思います。

今のところ候補になってる本はこんなところ。