もちろん、結論はない話です。
ウチの娘ふたりが、「メイク」ではなく「メーク」というテロップを見るたびに「気持ち悪い」と反応します。20代前半と後半のこの姉妹が言うように数年前からの現象なのか、それとも以前からずっとそうだったのか分かりませんが、気づいてみると確かに「メーク」ばかりです。
ある方とこの話をしていたら、ひとつの根拠をいただきました。
ここでダウンロードできる、『外来語の表記』という昭和30年(1955年)発行の文書に、こう書いてあります。
7. 長音を示すには,長音符号「ー」を添えて示し,母音字を重ねたり,「ウ」を用いたりしない。
ボール(ball) オートバイ(auto-bicycle)
なお,原音における二重母音の「エイ」「オウ」は長音とみなす。
ショー(shoe) メーデー(May-Day)
(pp.5-6、赤字は引用者)
そのうえで用例リストに、「メーク」は載っていないものの、そのもとである
メーキャップ(maek-up)
が載っているのです。
同じ "お上からのお達し" では、もう少し新しいところで、平成3年(1991年)の「内閣告示」もあります。
このなかの「付留意事項その2(細則的な事項)」のⅢに、こう書かれています。*1
3 長音は,原則として長音符号「ー」を用いて書く
〔例〕エネルギー オーバーコート(以下、例は略)
注1 長音符号の代わりに母音字を添えて書く慣用もある。
〔例〕バレエ(舞踊) ミイラ
注2 「エー」「オー」と書かず,「エイ」「オウ」と書くような慣用のある場合は,それによる。
〔例〕エイト ペイント レイアウト(以下、例は略)
昭和30年の文書にあった「二重母音の「エイ」「オウ」は長音とみなす」という記述はなくなっています。 それどころか、
「エー」「オー」と書かず,「エイ」「オウ」と書くような慣用のある場合は,それによる」
と例外を認めており、ei 音や ou 音については、むしろ昭和30年版より緩くなっているくらいです。
こうしてみると、やはり ei 音の扱いは、昭和の世でも平成の世でも、あまりしっかりは定まっていないようですね。
それでも、国語辞典を見るとほぼすべて、「メイク」は空見出しで、主見出しは「メーク」です。
そんな昔から「メーク」が主流だったとしたら、うちの娘はなぜ「メーク」を気持ち悪がるんでしょう?
「ファッション雑誌は "メイク" だったからでは?」
と、これも前出の方のご意見。なるほど、そうかもしれません。が、残念ながら手元にはそういう媒体の日本語に特化して調べられるリソースがないので、オンラインのコーパスに当たってみました。
使ったのは、これ。
コーパスデータは「少納言」や「中納言」と同じですが、インターフェースがちょっと違います。しかも、このサイトでおもしろいのが「2語比較検索」という機能。
【8/30更新】
ここで使ったコーパスとそのインターフェースについて、上の記述は誤っていました。詳しくは、次の記事
# NINJAL の TWC と BCCWJ - 昨日の記事の訂正 - 禿頭帽子屋の独語妄言 side α
をご覧ください。
使い方は簡単です。ログインして「2語検索機能」を選択したら、比較したい単語を2つ、スペースで区切って入力して[絞り込み]をクリックします(または Enter キーを押す)
調べたい単語2つ(ここでは「メイク」と「メーク」)をチェックして、右上の[2語比較]をクリックすると、下のように詳しいデータが出てきます。
もっとも、上の図の時点で「メイク」1万件以上に対して「メーク」は30件と表示されていますから、すでに差は歴然としています。
この一覧で[パターン頻度順]タブを選んで、たとえばいちばん上の「メイク+助詞」を選択すると、右側に詳細が表示されます。
このように、「メーク」の用例はかなり少ない。
というわけで、昭和30年の文部省のお達しにもかかわらず、また一連の国語辞典の扱いにもめげず、そして平成3年の文化庁の提言などものともせず、どうやら世間は「メイク」を使っていたようなのです。
■
ちなみに、この「メーク」表記は『共同通信 記者ハンドブック』でも定められています。
これはATOKプラグインで、入力中にこのように言い換え候補、推奨表記がサジェストされるので便利です。
書籍版には、第13版では「外来語・片仮名語用例集」(巻末資料)として、第12版以前では「外来語用例集」として載っています。版をさかのぼってみたのですが、「メーク」が載ってるのは第9版(2001年)からでした。第8版(1997年)では「メーキャップ」があるだけで「メーク」はありません。
そして、もうひとつ。「この数年で "メーク" 表記が目立つようになってきた」原因かもしれないと、別の知り合いに教えてもらったのがこれです。
テクニカルコミュニケーター協会(TC協会)が発行している『日本語スタイルガイド』の最新版です(2018年第3版5刷)。
「ai」「a+子音字+e」「o」など、発音記号が "ei"、"ou" などのアクセントのある二重母音になる表記には長音符号「ー」を充てる。
(p.57、赤字は引用者)
少し詳しくなっていますが、基本的には昭和30年の『外来語の表記』に書かれていたルールに拠っています。
ところが、実はこの本の第3版と第1版を比べてみて、ちょっとおかしなことに気づきました。第1版では、カタカナ表記に関する記述がこうだったのです(p.51)。
カタカナ用語の基準には、内閣告示の「外来語の表記」がある。「外来語の表記」は、平成3年(1991年)6月28日内閣告示第2号として制定された。
具体例なルールとしてもこうなっています(p.52)。
慣用:[エー、オーと書かないでエイ、オウと書く]レイアウト、ペイント
つまり、第1版では平成3年内閣告示に準拠していたのに、第3版では時代を逆行して昭和30年の『外来語の表記』に依拠しているのです。
TC協会が定めるカタカナ表記は、マスコミ方面にもそれなりの影響力があるそうです。とすると、昭和30年の規定に逆行したことで、「メーク」という長音符号の表記が目立つようになってきたのでしょうか?
今のところ、ここまでが調査の限界です。
*1:※どうでもいいんだけど、「付留意」ってなんだろ?