# 同業者の句集『羽根』

同業者のなかには、俳句や短歌をたしなむ人が何人かいます。そのおひとりから、ご自身の句集をご恵贈いただきました。

村上瑠璃甫というペンネームをお使いですが、著者略歴にご本名も書かれているので、実名でご紹介しちゃっていいですよね? 大阪在住の翻訳者、坂江晶さん。私が大阪方面のイベントにお邪魔するときたいてい足を運んでくださる、とても気さくで愉快な、しかも素敵な女性です。

私は、俳句・短歌については素養の「そ」の字もなく、読んで感覚的にいいなぁと思うだけですから、そんな私などが頂戴していいのだろうかと恐縮しましたが、ありがたく拝読しています。素人の感想ですが、たとえば帯でも紹介されている

春菊の
そのためらはぬ
香りかな

これが、たぶん坂江さんの、もとい村上瑠璃甫さんの持ち味を端的に表している句なのではないでしょうか。鍋に入れたときの春菊の鮮烈な香りが漂ってきそうで、しかも「ためらはぬ」という思い切った擬人表現には、俳句の技法として感心する一方、そこはかとないユーモアも感じられます。その不思議なバランスに、瑠璃甫さんご本人の人柄がにじみ出ています。

算盤の
子が青嵐
つれて来る

ご近所で、算盤塾通いの子どもを見かけたときの句?(ぜんっぜん違ってたらごめんなさい)。子どもが勢いよく駆けていくときって、たしかに空気も一緒に勢い流れていきます。まるで青嵐のように。

初夏の青葉を吹き渡る風。《季・夏》
【日国】

青嵐(あおあらし)という夏の季語、私は実はこの漫画で知りました(知ったのは1巻ですが、1巻の表紙はまだあまりうまくないので、最新刊のデータを載せています)。

梅咲いて
大阪は橋
多かりし

コロナ以前は毎年のように大阪に伺っていました。いつだったか、中之島近辺で懇親会が終わってから歩いてホテルまで帰るとき、橋のある夜景を見てその美しさに見とれたことがあります。そのときの景色と記憶がよみがえりました。同じ大都市でも、東京はあちこちで川を埋めてしまった。川と橋がある分だけでも、大阪っていい街だよなと思ったものです。

この句のような、何げない風景の写生も好きですが、算盤の句のように、人を切り取った作品も好きです。

風鈴の
鳴らなくなりし
一間かな

この句など、正確なところはご本人に訊いてみないと分からないのかもしれませんが、勝手に思い描くと、いろいろな情景が浮かびます。たとえば、亡くなった人の家の軒先に風鈴が残っていて、でも今はもう雨戸を閉め切っているからそれが鳴ることもなくなった――まず浮かんだのはそんなこと。あるいは、夏のたびに風鈴を下げていたひと部屋があって、その部屋の記憶はいつも風鈴の音とともにあった。でも、いつの間にか風鈴がなくなっていて、あるときふと、その音のなさに気づいたのかも。どっちでもいいですよね?

 

日頃、仕事で相対する文章は実務的なものがほとんどで、読書もどうしてもノンフィクションに偏ってしまう今の自分の生活。こういう本がときどきは必要だなと、改めて痛感しました。『羽根』も、仕事デスクの上に置いたまま、休憩するたびに開いています。瑠璃甫さん、いやアキさん、素敵なご本をありがとうございました!