# タイムライン上の「左/右」と「前方/後方」

同業者が、 Facebookで「セキュリティを左にシフト」という言い方を話題にしていました。英語では shift left security、shift left DevOps などのように使われています。

「左にシフト」というと、IT のコンテキストでまっ先に思いつくのはビットの操作ですが(1または0を左にずらす)、ここではまったく違う話。ざっくり書くと、「開発プロセスの早い段階からセキュリティを実装すること」です。

つまり、この言い方のベースにあるのは、「タイムラインが左から右に進んでいる」というイメージなんだろうと思います。

過去→→現在→→未来

こうですよね。

で、この話から私がさらに連想したのは、同じくITのコンテキストによく出てくる前方」と「後方」、英語のbackwardforwardです。この単語が絡む話は、英語でも日本語でもかなり混乱があったりします。

いったん、「左から右」の話に戻ります。

過去→→現在→→未来

この書き方に抵抗を感じる人は少ないでしょう。

横書き文化なら、「文字が左から右」へ進むので、横に伸びる時間軸を左から右へ進むイメージは自然です。折れ線グラフのように時間軸を伴うグラフも、必ず原点0から右へ伸びていきます。

逆にタイムラインを「右から左」に書く例はあるかというと、たぶんあまりない。その少ない例外が、国語の授業に出てくる「文学史年表」でしょう。たとえば、こちらにあるような形です。『古事記』から始まって、『風土記』『日本書紀』と、右から左に時間が進んでいきます。

www.zenkyozu.co.jp

これはたぶん、文字が縦書きだからですよね。縦書き表記は、文字は上から下へ綴られ、行は右から左に進みます。だから、それをベースに書いた時間の流れも自然と右から左になる。といっても、必ずしもそうではなく、歴史年表になってくると、縦書きでも左から右になることがあります。たとえば、この商品なんかがそうです。

ということで、タイムラインは、特に横書きベースなら「左から右へ」がほぼ標準だと前提することにします。

【追記】これを書いているところで、ちょうど、冒頭の同業者がこのWikipedia記事を教えてくれました。

Mental timeline - Wikipedia

Earlier time periods (the past) are associated with the left side of space and later time periods (the future) with the right. It is typically thought of as being presented left to right for populations who read left to right (e.g. English) and right to left for populations who read right to left (e.g. Arabic).

この話、もっと調べたら、いろいろおもしろい話が見つかりそうです。

さて、そういうことで左から右へ流れることになったタイムラインにおいて、英語のbackward/forwardと日本語の「前方/後方」がなかなかカオスなことになっています。このことは、アメリアの定例トライアルに関係して、旧ブログで記事にしたことがありました。

baldhatter.txt-nifty.com

この記事を書いたとき、いくつかの辞書やサイトで引いた結果の比較表も公開していました。今回また調べ直して更新してみたので、新しいファイルを公開します。docs.google.com

現時点では、英語版Wikipedia(とそれに一致している日本語版Wikipedia)の記述がおおむねの標準ではないかと思われます。英辞郎も合っています。

ところが、大きい辞書や一部のサイトがこれとけっこう食いちがっています。目立つところでは、Microsoftのランゲージポータルを見ると、backward compatibilityが「下位互換性」となっていて、訳語はOKですが、説明がまったく逆です。それから、研究社では『英和大辞典』も『リーダーズ』も怪しい。ジーニアスも、学習英和のG5でまともになりましたが、G大やG4はよくわかっていない。

"専門辞書" でさえ記述があやふやなのには驚きました。研究社の『英和コンピューター用語辞典』には、同じ研究社のリーダーズと同じ混乱が見られますし、日外アソシエーツの『コンピューター用語辞典』になると、説明文がなんだか要領を得ません。

そうしたカオスをひとまずおくと、互換性については、

  • 新しいシステムから過去のデータを見たときの方向がbackward。訳語としては「後方」か「下位」が一般的。
  • 古いシステムから新しいデータを見たときの方向がforward。訳語としては「前方」か「上位」が一般的。

と考えてよさそうです。

ところが、同じbackwad/forwardという組み合わせがおかしなことになっている別のコンテキストに最近遭遇しました。暗号(cryptography)に関する文章です。

forward secrecy

という用語があって、これは「暗号化に使われる鍵が漏洩しても、それ以前に同じ鍵で暗号化されていたデータの安全性は保たれる」という性質のことです。その逆が

backward secrecy

で、これは「暗号化に使われる鍵が漏洩しても、それ以降には改めて暗号化の安全性が保たれる」という性質。

これ、forwardが今より過去の方向を指していて、backwadが今より未来の方向を指してますから、互換性のときと逆です。これに対して定着している訳語も、

forward secrecy(前方互換性)
backward secrecy(後方互換性)

となっているので、「前方/後方」の使い方も互換性のときとは逆になります。

でも、よく考えてみると、forward secrecyのほうは「ある時点よりの安全性」ともいえるので「前方」という言い方もあながち間違いではない気がする。逆に、backward secrecyのほうは「ある時点よりの安全性」ことなんだから「後方」でいいのか……という風に、考え出すとだいぶ混乱してくるのです。

日本語だけだったら、時間軸上の「前/後」と空間上の「前/後」がごっちゃになっていることに一因がありそうですが、英語のbackwad/forwardでも同じようなことが起きているんでしょうね。