# 好奇心と辞書引き

年明け早々から、辞書を引いてみた話をいくつか書きました。

 # ○○正月 - 禿頭帽子屋の独語妄言 side α

 # 出汁(だし)をひく……? - 禿頭帽子屋の独語妄言 side α

 # メッセージを着信する……? - 禿頭帽子屋の独語妄言 side α

いずれも、翻訳の仕事とはまったく無関係。読んでいた本のなかで、あるいは日常会話のなかで遭遇した言葉から疑問が湧いて、それを調べてみただけです。

ただ、それを連日の記事にしたのは、辞書を引くという行為について最近ぼんやりと考えていることがあるからでした。

翻訳はわたしにとって生活の糧なので、その最中に辞書を引くのは、たいてい必要に迫られてのことですが、今回はどれもそうではありません。単に自分の好奇心を満たすためでした。

辞書に限らず、人が何かを調べる目的って、大ざっぱに分けると

  • 必要に迫られて調べる
  • 好奇心を満たすために調べる

のどちらかです。

単位を換算する、目的地までのルートや所要時間を調べる、ある映画の概要や出演者を確認する……そういう調べものなら、いまやインターネットが簡単に答えを示してくれます。不慣れな土地でランチに使えるお店を調べるとか、今日の気分に合った映画を探すといった複雑な要求でも、AIが相手をしてくれるようになりました。

こういうのはすべて「必要に迫られて」の調べものです。必要な答えが得られるなら、その手段や過程は何でもかまわない。

今回わたしがネタにした3つも、いまならネット検索すれば、「AIによる概要」が、少なくともある程度までは答えてくれそうです(こいつの性能と精度がものすごい勢いで上がっているのは、年末年始のPCセットアップのときに実感しました)。

でも、わたしが使ったのは辞書でした。必要だからではなく、「好奇心を満たすため」だからです。そのおかげで、「オランダ正月」とか「仏の正月」、「骨正月」など、実際にはほとんど見ることのない、そして自分ではまず使わない言葉に出会いました。

そんな言葉を知ってどうするの?

辞書を引くかどうかの分かれ目って、こういうところに(も)あるんだろうな、と漠然と考えています。

言葉の意味や使い方を、必要に迫られて調べるだけなら、英辞郎やWeblio、「AIによる概要」で事足りるのかもしれません。世の中の大半の人にとっては、たぶんそうです。翻訳の世界でも、そういうやり方が向いている仕事もあるでしょう。時間に追われているときには、これだけでせいいっぱいだったりもします。

でも、自分の好奇心を満たしたいとなると話は別です。一方的に答えを与えられるのではなく、答え(もしくはその候補)にたどり着くまでの過程も案外大事だったり、楽しかったりしませんか?

翻訳しているときに辞書を調べるのも、半分以上は必要に迫られての作業でしょう。でも、自分の好奇心を満たすためという要素も、実はわりと大きくありません?

原文に出てきた単語や表現を調べて訳文に使う。それだけではなく、こんな単語があったのかという発見によろこび、この表現おもしろいなと感心し、語源や関連語などについつい寄り道する。それがのちのちの仕事に生きることもたまにはあるけど、ほとんどは、おもしろがって満足して終わりです。

そう、好奇心の追求なんて、突きつめればそんなもの。いくら知識や雑学を蓄えようが、それが飯の種になるわけじゃあない(知識や雑学まで飯の種にできるのがエッセイストという職業)。

早い話が自己満足なんでしょうけど、思い切り乱暴に言わせてもらえば、翻訳者って、あるいはフリーランス全般って、

自己満足なしでやってられっか

的な職業だと思うんですよ(自己満足だけで成り立たないことは言うまでもなく……)。

翻訳という職蟻を選び、続ける動機は、もちろん人それぞれです。生きていくための経済基盤というのはいちばん大きい共通要素でしょうが、それ以外の部分は十人十色、千差万別。ではあっても、好奇心に動かされ、その答えを見つけるのが楽しい、そういう人はけっこういるんじゃないかと思っています。

 

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