翻訳者として一定以上の年数を経ている人なら、このタイトルにはおおむね同意してくださることと思います(知恵としても実感としても)。今回は、仕事として翻訳を始めたばかりの方とか、翻訳を学習中の方に読んでほしい記事です。なかでも、
- 翻訳業界で人とのつながりがあまりできていない
- 人脈はつくろうと思っているが、その場がない
- そもそも、つながり方がわからない
- フリーランスなんだから「ひとりでいいや」と考えている
- 孤独こそフリーランスの友だちだ……
そういう方に、ぜひ読んでほしいなぁと思います。
フリーランス翻訳者って、基本的にはひとりで完結できる仕事です。
もちろん取引先はあって、そこには人がいるわけですが、今の時代、その気になれば応募~トライアル受験から契約、取引開始、受注、納品まですべてオンラインだけで済ませることも不可能ではありません。自分のPCの前で、ひとりで、もくもくと仕事をしていれば回っていきます。よつばの父みたいに^^;
そういう生活が向いている人、そういうライフスタイルを選びたいからフリーランスという生き方を選択している人も一定数いるはずです。
一方、2020年から続いたコロナ禍のあおりで、幸か不幸か、セミナーのたぐいはどれもオンライン視聴が可能になり、これがフリーランス翻訳者のライフスタイルにはぴったりマッチしました。今までは翻訳学校にしろ勉強会にしろ、いちいち出かけていかなければなりませんでしたが、これでますます人に会う必要はなくなります。
――いたって快適なフリーランス生活のできあがり。なのですが、でも実は、その快適さにひたっていたのでは
仕事が広がっていかない
かもしれないということを考えみてください(すでにそう感じて悩んでいる方もいることでしょう)。取引先という意味でも、仕事の種類(分野や文種)という意味でもです。安定した取引先があるのはいいことですが、そこからの発注が切れたときのことは常に考えておかなければいけません。仕事の種類も同じで、同質の仕事ばかりしていたのでは、対応できる仕事の幅が狭くなってしまいますし、その段階で翻訳者としての進歩も止まってしまいます。
スキルを磨くこと、仕事の幅を維持・拡張することをやめてしまったら、フリーランスはそこで終わりです。フリーランス翻訳者は、常に
今より先のこと
を考え続けなければなりません。そのために何よりアテになるのが、
人と人とのつながり("人脈")
なのです。
ただ、これは経験してみないとわからないことかもしれません。だからこそ、ものは試しです。機会があったら、翻訳者や翻訳会社が集まる場に飛び込んでみてください。
そう、思い切って「飛び込む」ことが大切です。翻訳者って、会って話をすると「人見知りなんです」とか「人が大勢いるところは苦手なんです」という人もけっこういます。でも、そういう人でもがんばって、同業者や翻訳会社と接する場に顔を出してきています(そして、えてしてそういう人がよくしゃべります^^)。
10月のJTF翻訳祭も、オンライン視聴はたしかに楽で実用的ですが、可能であれば観光気分で、あるいは実際に観光も兼ねて、ぜひ現地参加してみませんか*1?
そして、せっかく参加するなら、わたしでもいいですし、SNSで露出のあるほかの方でもいいので、遠慮なく声をかけてください。みんな、ちゃんと応対してくれるはずです! 参考までに、すこし前の記事を貼っておきます。
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ここからは、そういう話の傍証として、わたしが「人とつながっ」てきた歴史を振り返ってみようと思います。随所に、過去記事(旧ブログも含む)へのリンクがあります*2。
今のわたしの仕事と業界活動のかなりの部分は、翻訳フォーラム、日本翻訳連盟(JTF)、日本翻訳者協会(JAT)、それらの周辺、そしてSNSで生まれた人とのつながりの上に成り立っているようなものです。
●退職してフリーランスに
わたしは、8年ほどの翻訳会社勤務を経て、2007年1月にフリーランスになりました(退職の直接の理由は病気でした)。baldhatter.txt-nifty.com
●翻訳フォーラム
最初の1年くらいは、関係者に会うことも(ほぼ)なくひとりで仕事をしていたのですが――まだSNSは本格的にスタートしていない時代でした――、ふと「外に出なきゃいけない。人と会わなければ」と思い立ちました(きっかけは覚えてません)。そんな折、運よく翻訳フォーラムのオフ会が(たぶん久しぶりに)があるというのを知って、ノコノコと出かけていきました。2008年6月のことです。井口耕二さんたちに初めて直接お会いしたのはこのときで、二人称として「帽子屋さん」と呼ばれるようになったのもこの頃からでした*3。
その後も、翻訳フォーラムのオフ会には欠かさず参加し、2009年9月にはフォーラム主催の勉強会でTradosの話をする機会をいただきました。わたしが人前でいろいろと話をするようになるのは、ここからです。
Trados専用ブログを立ち上げたのもこのときからでした。
翻訳フォーラムがその後も、2010年に「うんのさんV5発売記念パーティー」を開いたり、2012年からはほぼ毎年「翻訳フォーラム・シンポジウム」や「大オフ」、「レッスンシリーズ」を開催しているのは、だいたい皆さんもご存じのとおりです。
そこから今に至るまで、翻訳フォーラムはわたしの重要な活動拠点になっています。
たくさんの人に出会い(数少ない別れもあり)、仕事にもつながっていますが、わたしにとっては何よりも欠かせない「翻訳にかかわる研鑽」の場です。
●日本翻訳連盟(JTF)
翻訳フォーラムと並んで大きかったのが、故・田中千鶴香さんとの出会いでした。お会いしたきっかけは、翻訳フォーラムと、もうひとつ別の勉強会とでしたが、田中さんは日本翻訳連盟の理事をなさっていて、まず委員会活動に引っ張り込んでくださいました*4。当時の「スタイルガイド委員会」、現在の「翻訳品質委員会」です。
そのご縁もあって、2010年6月にはJTFの「翻訳環境研究会」に登壇。まだまだ不慣れで、こけおどしとして、プレゼンテーションには出たばかりの初代iPadを使ったりしました。
このときフェロー・アカデミーの方も参加してくださっていて、翌年にはフェローに講師として呼ばれることになります。もちろん、今日に至るまで続いている大きな仕事先です。また、ここから派生して知り合った翻訳会社さんからは定期的なニュース翻訳の案件をいただくようになり、これも今に至るまで続いています(そこから、それ以外のニュース翻訳の仕事にも広がっていきます)。
これ以降も、委員会や「JTFジャーナル」の編集などで関わりが続き、ついには2016年には理事にまでなってしまって、JTFもやはりわたしの大きな軸足のひとつになっています。
ここでもたくさんの出会い(と数少ない別れ)がありました。JTFは個人翻訳者だけでなく翻訳会社の会員も多い組織ですが、だからこそ仕事につながった面が大きかったといえます。
●日本翻訳者協会(JAT)
最近はあまり関わっていないのですが、2012年6月にはIJET-23広島に参加し、2014年6月にはJET-25東京に実行委員として関わりました。JATでの出会いが仕事につながったケースも、少なからずあります。
そうそう、今年の翻訳祭にお呼びした森口稔さんと、直接のつながりができたのも、JET-27仙台のときでした。
●SNS
JTFやJATと関わったのと前後して、実は翻訳者コミュニティーにとって大きな変化がありました。それが、Twitter(現X)と Facebook の出現です。今まで「横のつながり」がほぼ皆無だった個人翻訳者の世界にそれをもたらしたのは、SNSだったと言っていいと思います*5。
ここに、1枚の写真があります(一緒に写っている方、無断掲載にて失礼します)。
撮影は、今から14年前。2010年9月12日のはずです。翌日13日にJAT(日本翻訳者協会)のイベント「プロジェクト東京」があり、その前夜祭みたいな集まりでした。
同じ12日の昼間には、日本各地から十数人の翻訳者が集まって、横浜で遊んでました。その足でこの集まりに合流したのですが、その横浜での集まりも、きっかけはSNSです。そういうSNS上の交流がピークを迎えたのはおそらく2011~2012年で、その頃は、冗談ではなく少なくとも週に2回は翻訳者どうしの集まりがあったと記憶しています。
*1:この「観光気分」ってけっこう大切です。後述するJATの年次イベント「IJET」なんて、みんな観光半分で来てます。わたしも、広島や仙台に行ったときはまったくそうでした。翻訳祭を京都で開催したとき(2018年)も、その前の2日間はカミさんと奈良の観光してました。
*2:わたしのブログ「禿頭帽子屋の独語妄言」は、旧ブログ(2004年~)から数えてもうすぐ20周年です!
*3:そういうわけで、翻訳フォーラムにがっつり関わり合うようになったのは、実は "わりとあとから" なのです。
*4:ただし、翻訳祭とかJTF翻訳セミナーには、会社員だった頃からぽつぽつ参加していました。
*5:今や、Twitter も Facebook も、特に若い世代には見向きもされませんが、翻訳者にとっては今でも重要な場です。