痛ましいニュースなのでいささか気は引けるのですが、言葉の問題に限定ということで引用をご容赦ください。
この「手首」という言葉の使い方にふと疑問が湧きました。
そこからいろいろと国語辞典を調べまくり、Twitterでも助言をいただいたという話をしますが、最終的には何が言いたいかというと、
国語辞典は実に個性豊か
なので、翻訳者の皆さんもその
個性を知って楽しく国語辞典を引こう
ということです。
そして、1/29の「翻訳フォーラム式辞書デー」で、私のコーナーではそういう国語辞典の話をします。
私がこの疑問をツイートしたのが1/6の木曜日でした。その後、この事故のニュースも増えたので、さらにいくつか引用してみます。
トラに襲われサファリパーク飼育員3人負傷、うち女性1人が右手首欠損の重傷
(↑ 文春オンラインの見出しより、太字は引用者)
トラにかまれた飼育員、手首失う 通路で鉢合わせ
(↑ 産経新聞の見出しより、太字は引用者)
同僚を助けようとした小動物担当の女性飼育員(22)は右手首から先を失う重傷という。
(↑ 週刊女性PRIMEの本文より、太字は引用者)
私の疑問はもうお分かりだろうと思います。日本語の
「手首」ってどこを指すの?
ということです。
試しに、皆さんもぜひ手元の国語辞典を引いてみてください。できれば複数。
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・・・辞書引きのお時間です・・・
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大同小異はあると思いますが、ほとんどが
「腕と手のひらとがつながっている所。うでくび」
『岩波国語 第八版』
こんな感じだろうと思います。つまり、英語でいえばwrist、腕時計やApple Watchやリストバンドを巻く部分のことです。
でも、引用した記事のほとんどは「手首」としか書かれていません。だからといって、これをwrist だけのケガと読む人はまずいないでしょう。実際には「手首から先」であって、それが分かるからこそ痛ましいニュースだったわけです。
コーパスを見ても、こういう「手首」の使い方はわりと普通です。
自宅が空爆を受けて右手首を切断するケガを負った。
左手首を切断する大事故にあった。
タイタスの左の手首を切り落す。
四人の浪人の右手首を四人とも斬り落とした。
描こうにも両手首を失っているのだから。
(出典略。いずれも国研コーパスより。下線は引用者)
いずれも「手首から先」を「手首」と表現しています。
こうしてみると、「週刊女性PRIME」で見つかった「手首から先」という表現が、ある意味で異色です。もしかすると、こちらの記者も私のように「手首」の使い方に疑問を感じたのかもしれません。
こういう使い方があるんだから、「手首」の語義として国語辞典に載っていてもおかしくない……のに、ほとんどどの国語辞典にも載っていなかった、というのが今回の事の発端でした。どれも上述の岩波国語と大差なかったからです。
そのことをツイートしたら、高橋さきのさんからレスをいただきました。
学研国語大辞典をごらんになりましたか? 手首、足首の双方とも載っているように思いますが。
— Sakino Takahashi (@sakinotk) 2022年1月7日
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②腕の先。「戦争で手首を失う」《対語》「①②」足首。
おっと、いつもはたいてい目を通している『学研国語大辞典』を見落としていました。
②「腕の先」
これこれ、これが欲しかった。それから、こんなレスもいただいています。
もしかすると『言海』1889-1891もかもしれません。そして、語釈に出てくる「甲」という部分も、なんだかしっくりくるような。https://t.co/QOB3Vcgz0h pic.twitter.com/NV4sW3iaDW
— Sakino Takahashi (@sakinotk) 2022年1月7日
『言海』! 私もさっそく、国会図書館のデジタルコレクション、見てみました。
(二)手の端
やはり、あるところにはあるんですね。
それで、ふと思い立って、まだ調べていなかった同じ学研系の国語辞典を2つ引いてみました。
①腕と手のひらとのつながる部分。うでくび。
②腕の先。
『現代新国語辞典 第四版』(太字は引用者)
ありましたね。『学研国語大辞典』と同じ語釈です。中高生向けの辞典ですが、なめてはいけません(ただし、同辞書の最新版である第六版だと、この語義は消えていました。第五版はどうなのか、未所持だったので取り寄せ中です。分かったら追記します → 2022/1/11追記。第五版には「腕の先」がまだ残っていました)。
そして、さらに
①うでと手のひらのつながっているところ。
②うでの先
『新レインボー小学国語辞典 改訂第4版』(太字は引用者)
少しかみ砕いていますが、これも同じ流れの語釈です。なんとなんと、一般向け国語辞典のほとんどが相手にしていない意味が、
小学生向けの国語辞典に載っている
んですよ!
これが、国語辞典の、というか辞書というもののおもしろさです。
ちなみに、②の意味が載っている国語辞典、手元にもうひとつありました。
①腕と手のひらのつながりめ。うでくび。
②手の端。手。
『新潮国語辞典―現代語・古語―』(太字は引用者)
こちらには、「手の端」という『言海』系統の意味のほか、しっかり「手」と書かれています。これは1964年発行の、今となってはそろそろ骨董辞書の部類かもしれません。ふだんの仕事のときなら、ここまでは手を出しませんが、今回のような疑問をもったときは、こういう骨董辞書まで調べることがあります。
1/29の辞書デーには、そういう国語辞典のおもしろさと、翻訳者にとっての国語辞典の大切さをお伝えしようと思っています。乞うご期待!