# 長男の保育園時代

昨日から読んでる本。

タイトルだけ見ると川添愛さんの『ふだん使いの言語学』と似ているが、方向性はだいぶ違う。

詳細は書かないが、雑誌連載と書きおろしで構成されてるので、テーマ別に並んではいるものの、断章的なエッセイ風。

第一章の「7 「かわいい」に隠れた苦み」を読んでいて思い出したことがあるので、書き記しておこうと思う。

少し長くなるが、同書から引用する。

 もう四年以上前だが、いまだに忘れられない出来事がある。とある日の朝、私は当時一歳半の娘とバス停のベンチに座っていた。その頃私は、バスで通勤し、勤務先の近くの保育園に娘を預けるのが日課だった。
 その日、バス停には私たち親子以外に、六〇代ほどの女性の二人組もいた。彼女他は娘を見つつ、「こんなに小さいのにかわいそうね」、「そうね」と言い合った。

筆者は、この言葉にひどく腹を立てるのだが、その一方では娘を毎日保育園に預けることに、いくばくかの後ろめたさも感じていたと書く。

 娘に無理をさせているのではないかという不安も当然あった。特に、保育園を利用し始めた頃は、保育士さんに預ける際にはいつも泣いて嫌がっていたし、休みの日に家で過ごせることを心底喜んでいる様子だった。

本書のテーマとはあまり関係ないのだが、ここで、わが家の長男を保育園に預けていた頃のことを思い出した。

うちの長男も、保育園の入口で親と別れるときにはいつも泣いた。初めて預けるとき(お試し保育?)、いくぶんだまし討ちのように預けてしまったのが後を引いていたのかもしれない。親と離れてしばらくすると泣きやんで、あとは元気に過ごしていたそうだが、離れるときは必ず泣く。しかも、半年間それが続いた。

そして、すっかり通園になれた頃に、もうひとつ忘れられないエピソードがある。

この頃、長男は私の両親、彼から見た祖父母の家に預けられることも多かった。私は塾講師と翻訳業の二足のわらじ時代、家内は予備校の講師だった頃で、夕方の時間帯に二人とも不在のときは、祖父母のどちらかが園まで迎えにいっていた。その日はそのまま祖父母宅に泊めてもらうという生活パターン。自然と、長男は祖父母宅を「バーバんち」、自分の家を「かーしゃんち」と呼ぶ習慣になっていた。

保育園は、地元から二駅離れたところにあって、週の半分くらいは私が預けにいっていた。父子の二人連れで電車に乗るわけだ(私は車を運転しない)。

そんな車内で、あるとき長男が
「今日は、かーしゃんち?」
と聞いてきた。今日は誰が迎えに来て、どちらに泊まるのかという問いだったにすぎないのだが――

とたんに、周囲の乗客から、憐憫と不審と同情と疑念がごちゃ混ぜになったような、何とも言えない視線が飛んできた。

どちらかというと笑える話なのだが、あれはどう思われたんだろうなぁ。離婚したシングルファーザー? 母親のいる家以外にも帰る家があるってどういうこと? ―― 今発言では無理もないよなぁ、と内心では納得したけど、ああいう種類の居心地の悪さは、後にも先にも、このときだけだった。

そんな長男も、今や自分の子供を保育園に預ける年齢になった。孫は、泣かずに通園してるんだろうか。