# 古い写真のカラー化とMT+PE

すこし前に話題になったこの本、地元の書店で見かけてやはり興味がわいたので、買ってみました。

最初は 「AIでカラー化された写真」に対する違和感について書こうと思ったのですが、著者のひとり渡邊英徳氏が「記憶の解凍」と題して綴っている序章を読んで、まったく別のことを考えました。

「記憶の解凍」は、AIとヒトとのコラボレーションです。

序章はこの言葉で始まります。

AIによるカラー化には得意・不得意があるため、「戦争体験者との対話・SNSで寄せられたコメント・資料などをもとに、手作業で補正していきます」と説明されています。表紙を飾った1枚などは完成までに何か月もかかったそうで、それだけの手間をかけた結果こういう貴重な資料が生まれたのでした。

AIはAIにしかできないこと、AIだからこそ得意なことをする。ヒトはヒトにしかできないこと、ヒトだからこそ得意なことをしてAIを補う……。AIとヒトとの協調という点で、ひとつの理想形を見た気がしました。

……ん? こんな風に「AIとヒトは協力しあえる」みたいな話、わが業界でも最近たびたび見聞きしますよねぇ。そう、MT+PEつまり、MT(機械翻訳)とそれを修正するPE(ボストエディット) という組み合わせのことです。

同じ技術に根ざしていながら、モノクロ写真カラー化プロジェクトとMT+PEとの絶望的な差は何なんだろう――そう考え込んでしまいました。

MTにブレークスルーをもたらしたニューラルネットワークが、もともとは画像処理で成功した技術であることは、(たぶん)よく知られています。 そして、機械翻訳が出力した訳文を人間が編集する「MT+PE」というプロセスの問題点も、同業者はいやというほど知っています。

※同業者でない方、ME+PEについてはこちらの記事をどうぞ。

terrysaito.com

(意図しなかったのですが、"MTPE"で検索したらトップにテリーさんの記事がヒットしました。素晴らしい!)

AIとヒトが協調して、それがなければありえなかった貴重な資料が生み出された。

かたや、MT+PEがめざそうとしているものは、品質を二の次にしたコスト削減ばかり(そうではない向きもあるのかもしれないが、少なくとも業界の今の大勢では)。

最新の技術を駆使する一方、めざす成果のためにあらゆる努力を惜しまなかったカラー化プロジェクト。

最新技術の導入をエクスキュースに、ひたすら手間と金を惜しもうとする翻訳業界。

もちろん、両者でいろいろな条件が違うことはわかっていますが、それにしてもこの違いはいったい何なのか――

機械翻訳に取り組んでいる研究者のみなさんが「協調」を語るときって、このカラー化プロジェクトみたいな世界をイメージしてるんですよね、きっと。でも、そういう理想と、MTあるいはMT+PEを進めようとしている現場の思惑があまりにも乖離している。

モノクロ写真カラー化プロジェクトがこれだけの価値を生み出したように、「MT+PEだからこその品質、ただしお金はかかります」みたいな売り方はまったく見かけません。

そのうえ、技術に対する姿勢もおよそ正反対です。

カラー化された写真の色彩は「実際の」色彩とは異なります。できる限りの「再現」を目指していますが、まだまだ不完全です。(中略)おそらく、永遠に終わらないたびです。

一定の成果を出したうえ、きちんとその限界と不完全さを認識しているこの真摯な言葉に比べて、翻訳業界でのMTの売り方はどうかというと、

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こんなんばっかりですからね。

「NMTでこのくらいまでできました。これこれの点では人間より正確です。でも、これこれの処理はまだまだ不完全です。 両者が補い合って、機械にも人間にも負けない翻訳をめざします。そういう翻訳を一緒に作りませんか」

こう言ってくれる会社が、ひとつくらいあってもいいのではないでしょうか。

これなら、従来の「翻訳」とはまったく違う仕事として誇りをもって臨めるPEという職種が成り立つかもしれません。ただし、通常の翻訳と遜色のないまっとうな報酬が条件になることは言うまでもありません。